2012年5月29日火曜日

ドゥカティ、アルミフレーム化への道のり

2010年7月から公私共に忙しくblogの更新が滞ってしまった。その間にロッシはやはりドゥカティに移籍して苦難の時期を過ごしている。世間ではロッシはもう終わったという声まで聞こえて来る様になった。しかし、ロッシは本当にもう終わってしまったのだろうか?ロッシを中心にblogの更新が滞っていた2010年〜2011年のMotoGPを振り返ってみたいと思う。

2010年後半ロッシは第15戦マレーシアGPで復帰後初優勝を飾り、今でも優勝出来る力を持っている事を証明してヤマハを去りドゥカティへと移籍した。

しかし、復帰後も足の怪我に加えて肩の怪我の状態が思わしくなく、復帰後の優勝は1回に留まり、結果的には年間2勝のランキング3位でシーズンを終えた。あれだけの大怪我から回復してランキング3位まで巻き返せたのは流石ロッシという所ではあるが、それでも復帰後もかつての様な圧倒的な強さを見せつける事が出来なかった事から、シーズンを通しての印象としては、やはり2010年の最速ライダーはロレンソであり、もし怪我がなかったとしてもロッシはタイトルを穫る事は出来なかったのではないか?という印象になってしまったのは否めない所だ。

また、その怪我自体ロッシらしからぬ転倒が原因で、その転倒も想像以上に成長を見せたロレンソの速さにロッシが焦った為という想像を駆り立てるものであったのも、その印象に拍車をかけたと言えるだろう。

いずれにしてもロッシはプライドを賭けてヤマハに自分かロレンソのどちらを選べと迫り、ヤマハは両方を選ぶという選択をしたのだが、それはロッシにとってはロレンソを選んだというのと同じ事だったと言えるだろう。しかし、ヤマハとしてはタイトルを獲得したロレンソを放出し、ランキング3位に終わったロッシを選ぶという選択肢は有り得ない。

確かにロッシとヤマハの関係というのは特別なものだったと言える。しかし、もしその有り得ない選択をヤマハが取ったとしたら、MotoGPのスポーツとしての威厳の問題に発展してしまう。僕としてはヤマハの選択は当然だったと思う。多くのロッシファン、ヤマハファン、そしてロッシ本人もロッシとヤマハの特別な関係にもっとロマンチックなストーリーを期待してたと思うが、これはやはり止むを得ない事だったと思う。

そして、2007年にドゥカティで圧倒的な強さでタイトルを獲得したケーシー・ストーナーはその後もMotoGPの中心的ライダーの一人として活躍を続けるものの、2007年の様な圧倒的な強さは影を潜め、常に何らかの問題を抱えている印象だった。

その理由の大きなひとつが、MotoGPの経費削減策として導入されたエンジンの年間使用台数制限にあると言えるだろう。

ドゥカティの圧倒的エンジンパワーの理由のひとつが耐久性を犠牲にしたエンジンチューニングにあった事は想像に難くない。そしてエンジンパワーと耐久性の両立という難しい命題を解決するのは日本メーカーのお家芸であり、エンジンパワーと耐久性を高いレベルで両立させる事に成功したホンダ、ヤマハに対し、ドゥカティは耐久性向上の為にエンジンパワーを抑えざるを得ず、結果として3メーカーのトップスピードの差は接近し、ドゥカティは他メーカーに対して持っていた最大のアドバンテージの多くを失ってしまったと言えるだろう。

それでも、ケーシーはホンダへの移籍を発表したシーズン後半に復調し3勝を挙げてランキング4位でドゥカティ最後のシーズンを終え、未だトップレベルのライダーである事を証明し新天地ホンダへと去っていった。

この事で、ドゥカティはセッティングに難しい点があったとしても、まだまだコンペティブな性能を持ったマシンであるという事を印象付ける事になり、ドクターの異名を持つロッシなら、そのセッティングの難しさを克服し、ドゥカティで再びタイトルを獲得するのではないかと多くの人が期待を持ったとしても不思議ではない。

ホンダからヤマハへと移籍して初レースで優勝、初シーズンでタイトルを獲得した奇跡をドゥカティでも再現してくれるのではないか?ロッシがまた新たな伝説を築いてくれるのではないか?そういう期待をファンの多くが持ったとしても不思議ではない。

ロッシというのは、これまでそういうファンの期待に期待以上に応えて来たスーパースターなのだから、それも当然と言えるだろう。

しかし、僕はロッシのドゥカティ移籍はそう簡単な事ではないと思っていた。何故ならストーナーとロッシのライディングスタイルは正反対であり、ドゥカティはストーナーの様なライディングスタイルのライダーには適しているが、ロッシな様なライディングスタイルのライダーが決して乗ってはいけない特性のマシンだと思っていたからだ。

対して、ホンダからヤマハへの移籍の場合は事情が違う。ロッシはヤマハに自分のライディングの理想を実現出来るマシンだというイメージを持って移籍したと僕は思っている。事実、ロッシのライディングの最大の特徴はハードブレーキングでコーナーの奥深くにまで突っ込んでいき、ブレーキを引きづりながらバンクして素早くコーナリングを終了して鋭く立ち上がっていくというものであり、そのライディングスタイルが完成の域に達したのはベストハンドリングマシンと評価の高いヤマハに移籍してからのものだ。

ロッシはホンダからヤマハへ移籍する事で、より自分のライディングスタイルの特性にあったマシンを手に入れたと言えるが、今回はその全く逆であり、自分に取ってベストの特性のマシンを手放し、全く方向性が逆のハンドリングに問題を抱えたマシンに乗り換える訳である。

案の定、2011年シーズン、ロッシはヤマハ移籍1年目の様な奇跡を起こす事は出来ず、低迷してしまう。

しかし、シーズン序盤、僕はむしろ想像していたより悪くないと思っていた。開幕戦7位、第2戦で5位、第3戦5位、そして第4戦フランスGPでは早くも3位表彰台に上がっている。

そして第2戦では最終順位こそ5位だったが、序盤ストーナーのインを差してストーナーを巻き込んで転倒した後再スタートして追い上げての5位であり、転倒がなければ2戦目で早くも表彰台、それも1番高い所に上がっていた可能性すらもある。

思っていたよりも順調であり、流石ロッシと唸らされたものである。ドゥカティの特性はロッシには絶対合わない。もしロッシがドゥカティで勝とうとするならば、ドゥカティの特性を全く正反対のものに変えてロッシ好みのマシンに造り変えないと無理だろうと思っていたのだが、シーズン序盤のマシン、つまり昨年までの延長線上のマシンでまだロッシが乗る様になってからのデータやリクエストを基に根本から造り上げたマシンではないそのマシンでここまで走れるなら、優勝するのもそう遠くないだろうし、ロッシ好みのニューマシンが仕上がったら2年目以降のタイトル獲得も夢ではないと思う様になった。

しかし、その想像はまたも裏切られ、ロッシのリクエストで全く新しく造られたニューマシンが投入されてからこそが、ロッシの本当の低迷の始まりだった。

特に来年度様に開発されていた1000ccマシンの先行テストでそのマシンを気に入ったロッシが、その1000ccマシン用のフレームを800ccマシンに先行して搭載する事を決めてから、その低迷は更に深刻なものになっていく。

来年度用のマシンの開発と今年度のマシン開発を同時に行うという決定は一見合理的だが、1000ccと800ccではエンジン重量もエンジンパワーも違う。当然フレームに要求される剛性なり特性なりも同じではないと思う。1000ccエンジンを積んで好調だったフレームに800ccエンジンを搭載して同じ様に走れるとは思えない。

そんな事はロッシもドゥカティのエンジニアもチームクルーも分かっていた筈だと思うので、何らかの勝算があったのだろうとは思うが、結果としては12年型フレームを先行搭載したGP11.1に乗ってからのロッシの成績は低迷を極め、あのロッシの定位置が10位前後という悪夢の様な事態を引き起こしてしまった。

そして、GP11.1のフレームに失望したロッシは、遂にドゥカティにアルミフレームの製作をリクエストする。ドゥカティが設計し、アルミフレーム製造に実績のあるフレームビルダーであり、Moto2マシンのフレームも製造しているFTRが製造したアルミフレームは、多くの日本車同様アルミツインスパーフレームでありながら、日本車のアルミフレームとは異なりピポッドレスという特殊な構造を取っていた。

僕は2011年の開幕戦終了時点で、AKIさんのblog、GP News Worldwide +(http://motociclismo.jugem.jp/)のコメント欄で次の様なコメントをしていた。

「個人的には最低重量制限があるので、あえて他メーカーが使っていないカーボンフレームを使用するメリットがあるとは思えないので、実績のあるアルミフレームを採用すべきじゃないのかなあ・・という気がします。」(http://motociclismo.jugem.jp/?eid=2294&target=comment&guid=ON&view=mobile&tid=7

この時点では、従来のドゥカティのマシン開発の方向性ではロッシの好みのマシンにはならないだろうから、ロッシの好みのマシンに仕上げる為にはロッシは日本車的、というかヤマハ的な特性のマシン造りをドゥカティに要求するのではないか?それはつまり日本車的なアルミフレームの投入を要求するのではないか?と思っていた。

しかし、その後従来のフレームで思った以上に早く成績が上向いて来た事から、一時はアルミフレームでなくても大丈夫みたいだなあと思っていたのだが、結局その後の低迷で当初の予想通りにアルミフレームが投入される事になった訳だ。それはロッシの立場から考えればマシン開発がうまくいかない状況では当然至る結論であり必然だっただろうと思う。

だが、本当の問題はフレームだけでは解決しない。前述の僕のコメントを受けて通りすがり氏が以下の様なコメントをしているが、実はこれは表裏一体の問題だと言える。

「個人的にはフレームレイアウトより根本的に見直すべきはエンジンのバンク角かなと思ってます。WSBのアプリリアもMOTOGPのスズキもホンダも狭角バンクですが、ドゥカは90度を頑なに守っているのでどうしても搭載位置に制約が出来るし、エンジンは前後に長くなるし。」

何故ドゥカティがそれまで日本車的なフレームではなく、独特な構成のフレームを使用して来たのかという理由がこの90°VというかL型エンジンによる、エンジンの前後長の長さにある。

前後長が長いので、普通にフレームを造ったらマシンの前後長、つまりホィールベースが長くなり、マシンは直進安定性は良くなるが旋回性、つまりコーナリング特性は悪くなる。

それをエンジン、フレームはそのままで解決しようとすれば、リアのスイングアームを短くする事でホィールベースを短くする事は可能だ。しかし、スイングアームを短くすればマシンの安定性は悪くなる。おそらくリアタイヤのトラクションにも悪影響があるだろう。

L4エンジンというのは、そういうフレーム設計の難しさのあるエンジンであり、その難しい問題を何とか解決しようとして、様々な工夫を凝らして来たのが従来のドゥカティのフレームだと言える。

ドゥカティのフレームの伝統的な特徴のひとつがピポッドレスという事だが、これもピポッドレスにして、リアスイングアームをエンジン後部に直接マウントする事で、スイングアームの長さを犠牲にせず、少しでもホイールベースを短くしたいという考えの現れであろう。

また、L4エンジンは前後長が長い事でマシンをコンパクトにするのが難しいだろうから、エンジンをフレーム構成の一部として活用するモノコックフレームにする事で、フレーム自体をコンパクトにしてマシン全体をコンパクトにしたいという狙いもあるのかもしれない。

だから単純にアルミフレームにすれば良いというものではなく、アルミフレームにした事で再び浮上して来るそれらの問題をどうやって解決するかという事が重要になる筈だ。

シーズン終盤に登場したアルミフレームはツインスパーフレームでありながら、ピポッドレスであった事もホィールベースを理想的な長さにする為の代替案がなかった事を思わせるものであり、急作りの印象は否めず、それで本当に日本車的なフレーム特性が得られるものかどうか疑問を感じさせるものであった。

それでも、ロッシはこのアルミフレームに好感触を得て、決勝レースのリザルトを改善する事に自信を覗かせるコメントをしていた。

しかし、シーズン終盤ロッシは不慮の事故で中止となったマレーシアGPを挟み連続リタイヤでシーズンを終えてしまい、そのピポッドレスアルミフレームの真価を決勝レースで確認する機会を得る事が出来ないまま、シーズン直後のテストに登場した2012年型の1000ccマシン、GP12にはピポッドのあるオーソドックスなアルミツインスパーフレームが搭載されて登場する事になる。

今振り返ってみると、2011年の序盤のドゥカティはフレーム設計に関して問題の多いL型エンジンに取っての理想的なフレームを長年追求して来たドゥカティの歴代のエンジニア達の努力とノウハウの結晶であり、ひとつの完成形であったと言えるのではないかと思う。

そしてロッシは自分のライディングスタイルをその特性に合わせて走っていたのだと思う。それが想像以上にうまくいっていたと言えるだろう。それはドゥカティがその時点でひとつの完成に達していたという事でもあり、ロッシの順応性がやはり非常にレベルが高かった事の証明でもあると思う。

しかし、自分に取って理想ではないマシンに合わせて自分の理想ではないライディングをしていたのではやはり限界はある。

一方で、ロッシと入れ替わる様にホンダに移籍したストーナーは、理想のマシンを得て理想のライディングで走っていると言って良いと思う。全てのサーキットで圧倒的な速さを見せつけ、今やストーナーをロッシを越える史上最速のライダーだと評価している人も多いだろう。

ホンダでのストーナーの走りを見ていると、改めてロッシとは正反対のライダーだと分かる。ストーナーに取って必要なのはとにかくトップスピードの速いエンジンと直進安定性の高いフレームだろう。

ストーナーはロッシの様にフレームの特性を生かしてコーナリングするのではない。リアタイヤをパワースライドでスライドさせる事でマシンの向きを変え曲がっていくのである。
だからフロントタイヤのグリップが重要になる。アンダーステア傾向のマシンをパワースライドで強引に曲げていくので、フロントが粘ってくれないとフロントから転倒しまうからだ。ミシュランのフロントタイヤのグリップに問題があったLCRホンダ時代にフロントからの転倒が多かったのはその為で、ブリヂストンを使用するドゥカティへ移籍して転倒が減ってタイトルを獲得したのも、ミシュランよりフロントタイヤのグリップ力が勝るブリヂストンを得た事が大きかったと言える。

ストーナーのライディングテクニックはロッシとは対極だが、ひとつの究極である事は間違いない。それに対抗するのに付け焼き刃で敵う筈もない。ストーナーと対極の方向で頂点を極めているライダーとして、ベストなマシンに乗っているストーナーと本当はどちらが速いのか証明する為には、ロッシの方もベストのマシンに乗っていないと無理というものだ。

ロッシの造った理想のベストハンドリングマシンに乗り、理想のライディングをしているロレンソを倒すにも同じ事が言える。

だから、ドゥカティを自分の理想のマシンに造り変えるというのは、ロッシにとっては避けて通れない道だったと思う。ただ、その道はドゥカティのエンジニア達が長年味わって来た苦悩を追体験する事であり、並大抵の事ではなかった筈だ。

その苦難の道をたった1年で克服して来てしまったのだとすれば、ロッシとドゥカティはロッシとヤマハがYZR-M1で成し遂げた時以上の賞賛を得る資格があると思う。

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